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ビニロンの歴史的評価

日本初そして世界で2番目の合成繊維であるビニロンは

日本の産業史で大きな役割を果たしてきました。​

戦後日本のイノベーション100選WEBページ

「戦後日本のイノベーション100選」は公益財団法人発明協会が創立110周年を記念して2014年~2016年に選定した105件のイノベーションです。ビニロンは第一回の選定38件の1つとして戦後復興期のイノベーションに選ばれています。

『ビニロンの事業化は、海外からの技術導入によらずその工業化も国産原料を使用して国産技術で成し遂げたものだった。そのため、日本人にとって、敗戦によって喪失した自信を復活させる一つの契機になったイノベーションでもある。』(選評より)

※現在は石油と天然ガスから製造することが多いですが、当時は石灰石(と石炭で作るカーバイド)を主原料とし国産資源だけで製造できるものでした。

当時の倉敷レイヨンは資本金2億5000万円の会社でしたが、社長の大原總一郎氏が日本の繊維産業復興の

ために大決断をして14億円の投資を行い工業化を成し遂げた逸話他、ビニロンが日本の産業に起こした様々な影響の大きさを知ることが出来ます。

未来技術遺産のWEBページ

ビニロン(ポリビニールアルコール繊維)は2010年10月に独立行政法人国立科学博物館の重要科学技術史資料(愛称:未来技術遺産)に登録されています。

「重要科学技術史資料」(愛称:未来技術遺産)は、国立科学博物館の産業技術史資料情報センターが2008年から開始した、先進の科学技術に基づき開発された文化財を未来に残すべき製品として登録する制度です。

選定基準は

①国際的に見て日本の科学技術発展の独自性を示すもの

②国民生活の発展、新たな生活様式の創出に顕著な役割を果たしたもの

③日本経済の発展と国際的地位の向上に顕著な功績のあったもの

④失敗事例から科学技術の継承を図る上で重要な教育的価値のあるもの

―などとなっております。

​また、株式会社クラレの未来技術遺産登録時のプレスリリースにビニロンの歴史やトピックス(西側諸国からの対中国プラント輸出の第一号がビニロンの製造工場である他)が分かりやすくまとめられています。

棟方志功作「美尼羅牟頌板画柵」

20世紀の日本を代表する版画(板画)家である棟方志功。

大原孫三郎と大原總一郎は棟方の支援者でもありました。

棟方志功は總一郎の依頼で友人でもある彼のために『美尼羅牟頌板画柵(ビニロンしょうはんがさく)』4連作(別名『運命板画柵』)を制作しました。

(總一郎が愛読したニーチェの詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の”黎明””真昼””夕宵””深夜”を描いているそうです。)

会社の命運をかけてビニロン事業に挑む友のために、天才が想いを込めた作品それが『美尼羅牟頌板画柵』です。

※画像およびリンクは株式会社クラレ2006年6月21日プレスリリースの「クラレ創業80周年記念 「幻の棟方志功 ~大原美術館、クラレ秘蔵作品より~」を神戸・東京で開催」から

ビニロンの事業化を推進したクラレ2代目社長の大原總一郎は

平成の経済小説の名手「江上剛」によって『百年先が見えた男』という小説の主人公になっています。

また、その父でクラレ初代社長の大原孫三郎の生涯は

昭和の経済小説の巨頭「城山三郎」によって『わしの眼は十年先が見える』という小説で描かれています。

日本の経営者で二代に渡って小説化された例は他にないのではないでしょうか。

「世のため人のため、他人(ひと)のやれないことをやる」というその信条は今もクラレの使命として掲げられています。

以下、アマゾン『百年先が見えた男』紹介文より

すごい経営者がいた!
日本オリジナルの合成繊維の事業化、そして国交回復前の中国へ――。
敗戦後の日本人の誇りを取り戻させた大原總一郎の激動の人生を描いたノンフィクションノベル。

松下幸之助に「美しい経済人」と評された稀代の経営者・大原總一郎――。
数々の分野でシェアNo.1を誇る企業=現在のクラレを創り上げた男の生涯は、波乱に満ちたものだった。
国産第一号の合成繊維「ビニロン」の事業化や、国交回復前の中国へのプラント輸出……。
激動の昭和史を背景に、“百年先が見えた経営者"と言われた男の生涯を描く感動の企業小説。
『天あり、命あり』を改題。

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